セカイ系でないということ

時かけの大きな特徴は「未来へと開かれた物語である」ところにある。それは、千昭のいた未来と不思議な絵との関係についての真琴の質問に回答が提示されないままだったり、真琴の「やりたいこと」が秘密とされるまま物語が終わることに端的に現れている。

こういった「謎」について作品の中に答えを探すことも可能ではあるが、そのためには「作品の中に答えが隠されている」という何の保証もない前提を要求する。それよりは、答えは与えられるのではなく、観るものが自分で探すものだ、と考えるほうがこの作品をより深く楽しく味わえるように思う。そして、その答えは作品の延長上より、しばしば観る者自身の中に見つかるものであろう。

セカイ系作品の息苦しさとは対照的な、時かけ独特の爽快感はこういった観客との距離感からくるものに違いない。