ストーカー

何回か観たのだが途中で異様に眠くなり寝てしまって、結局「わけがわからん」という感想しか残っていなかった。原作の「路傍のピクニック」のほうは主人公の粗暴さと喫煙シーンの多さに辟易しながらも何とか最後まで原書を読み通した。結局、舞台設定以外はあんまり共通するところはない、ということがわかった。で、映画のほうは結局なんだったんだろう、という疑問が残ったので再度観てみた。

で、結局やっぱり「わけがわからん」という結論に達した。ゾーンという現実を前に延々と哲学的議論を繰り広げる。まあタルコフスキーのことだから議論の中身よりは「議論している」ということが重要なのであってあとはその映像に耽溺していればいいのだろうけれど、そうするとやっぱり必然的に眠くなる。だからこれは寝る映画、ということで正解に違いない。

原作者のストルガツキー兄弟には「願望機」という作品もあって、原作は「願望機」を探しに行く話なので「何か関連があるんだろうか」と思っていたら、「ストーカー」の脚本として書かれたものらしい(結局、没)。それ、ちょっと見てえ。