エヴァとウテナ

とりあえず両方ともテレビシリーズの話。

10年前、当時の同僚に「近頃のアニメはわけがわからない」と見せられて「たしかにわけがわからんな」と思ったのが少女革命ウテナの25話だった。決闘広場に車がぼこぼこ生えてくるシュールなシーンが記憶に残っていて、「そういえばあれは何だったんだろう」といまさらながら通して見てみた。

結論から言うと「やっぱりわけがわからんな」というわけで、近景で見ても俯瞰しても一貫してわけがわからない、というのはなかなかたいしたものだ。でも強く思ったのは「エヴァと物語の構造が似ているな」ということだった。

エヴァウテナは、作品世界が主人公の思い込み(「逃げちゃだめだ」と「王子様になるんだ」)から創造されており、主要な登場人物に主人公の強迫が投影されているが、最後にはそこから抜け出す道を見出す、という構造において驚くほどの一致を見せる。

ネルフ暁学園、シンジとウテナ綾波とアンシー、アスカと七実、ペンペンとチュチュ、ミサトと樹璃、ゼーレと世界の果て、チルドレンとデュエリストなど対応表を作って遊ぶと鼻血が出るほどおもしろい。

そういえばストルガツキー兄弟の「路傍のピクニック」もそうだし(タルコフスキーの「ストーカー」の原作だが、時かけの原作とアニメくらい別の話)、これは普遍的なモチーフなのかもしれない。

でもって以下蛇足。

樹璃は最終的にみずからデュエリストであることを放棄するのだが、それは自分が作品世界に存在する必然性を放棄することにほかならない。樹璃として屹立する樹璃の前に「少女革命ウテナ」という物語の枠組みは存在意義を失う。こんなにまでイカれたイカしてるアニメがあっていいものか。