宗教と映画

幸福の科学の教義が各種の宗教の解釈や保守系の政治的信条がモザイク状に組み合わさったものであることは、その気になって調べればすぐわかることなので略。でもって、たとえそれがどんなに通俗的で一貫しないように見えたとしても、ひとつの宗教として機能していることは否定しようのない事実である。

仏陀再誕はその教義のなかでも俗耳に入りやすく物語を構成しやすい部分を掬い集めて骨格としている。といっても丹念に説明されているとはいいがたく、予備知識なく観る人の頭の中は「?」でいっぱいだろう。でもそれはそれでよいのだ。宗教が絡んでいようとなかろうと、映画は映画なのだから。そういう目で見てみると、仏陀再誕よりも荒唐無稽な映画はいくらでもある。

かといって仏陀再誕を擁護する気があるかというと、まったくない。映像や声をあてている役者がどれだけ豪華でも、映画としての作りが貧相すぎる。端的に言うと、登場人物に活き活きとした魅力がない。なので、物語が流れない。それでも無理に物語を進めようとして破綻をきたしている。まさに「仏作って魂入れず」状態である。

信者であろうがなかろうが上映中のつかの間くらいは真実であるかのように浸らせてくれるのが映画というものである。とするとやはりこれは「映画失格」としか評価のしようがない。